自然派まさべえ

隙間時間を大切にしています。自然散策が好きです。

「水平線と魚突き」

<水平線が見たくて>

夏の休日、水平線が見たくて海へゴー。

魚突きも出来るように、レジャー用のヤスとクーラーボックスも用意して出発。

今年の夏も暑いシーズン、早く水に浸かりたい。

長い道中、ようやく海岸通りに差し掛かり、トンネルを抜けた時、目の前に現れた水平線の眺めは最高だった、何か心が洗われ新鮮な気持ちになれる。

<魚突きを楽しむ>

海でヤスを使った魚突きは穴打ち以外は至難の技、追い討ちなんぞ銛がないと難しい。

しかもレジャー用のヤスで挑むのだから…

でも実はそれが何か挑戦する様な感じで楽しい。

果たして結果は…

アイナメとカワハギをゲット、どれもまだ小物。

でも楽しめた。

<まとめ>

アイナメカサゴ目に分類され同目のカサゴメバル、カジカとも似た魚、ヒレの棘は発達せず背びれが1つに繋がっている。

さらにウロコは細かく胴は細長く体高があり、他のアイナメ属であるクジメやホッケなども同じ容態。

白身魚の一種であるアイナメは、実は高級魚として扱われている。

お吸い物やお酒のアテなどにも人気が高い。

たっぷりと脂がのっていて、淡泊ながら旨みが強い。

ただ、意外にもその存在を知る人や食べたことがないという人も多い。

今回は、シンプルに塩焼きで食べたが、とてつもなく美味しかった。

【水平線と魚突きの動画】

https://youtu.be/P3Bi1H7OSGs?si=PRKtq1No27qBIplQ

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「今が旬の若鮎」

<暑すぎる毎日>

厳しい暑さが続いている、暑すぎていてもたってもいられない。

こんな日は、思わず清流へGO!

川の水に浸りながら、水中観察したり、小川でガサガサしたり、長閑な環境で一日を過ごす。

川の中は鮎が見られた。

<若鮎が旬>

鮎といえば、今の時期、若鮎が旬。
そして、鮎と言えば川魚の代表と言っても良いほど広く知られている魚。

若鮎が新緑の頃に清流の中を泳いでいる姿は非常に美しさがあると言われている。

水中観察すると、まさに夏の使者ともいえる姿が印象的。

若鮎は夏が旬と言われており、特に6月から7月が一番おいしい時期。

川の上流まで登ってくる頃には体長が12センチから15センチほどに成長。

苔をたくさん食べた鮎は香魚と呼ばれ、瓜の香りがする魚として重宝されている。

<美味しい食べ方>
この頃の若鮎は脂ものっているので鮎の独特の風味を最大限楽しむことが出来る。
若鮎の食べ方は、シンプルに塩焼きが一番。

鮎自体の旨みや風味を損なうことなくダイレクトに味わえる。

少しマイナーな食べ方では、せごしもおすすめ。

せごしは大きめの鮎を新鮮な状態のまま内臓の身を取り出し、生のまま食べる食べ方。

それほどメジャーな食べ方ではないものの、鮎の美味しさを感じることができる食べ方に違いない。

<鮎の栄養>

鮎は自然の恵みを受けて育つ。

だから、多くの栄養素が含まれ、ミネラルやカルシウムが多く含まれており、イワシの3倍ほどの数値とも言われている。

他にタンパク質も多く含まれ、これは一日に必要な量の四分の一がとれるほどだという。
聞くところによれば、実は鮎は天然ものよりも養殖物の方が栄養価が高いそうだ。

技術の進歩により適度な脂質、ビタミンA、ビタミンB12などがバランスよく含まれている様で、ビタミンB1も含まれている為、貧血予防改善、血液サラサラ効果、動脈硬化の予防、疲労回復、免疫力向上、感染症の予防などに効果が期待出来るのではないか。
<まとめ>

鮎の名前について、少しうんちくを話したいと思う。

鮎と言う名前が付いたのには様々な説ありで、鮎の語源として有力なものは秋に産卵期を迎える際、川を下ることをアユルと表現することから由来するという説や、神様のお供えする食べ物であることから饗(あえ)に由来するという説がある。

漢字については鮎が一定の縄張りを独占する(占める)ところから付けられた字であるという。

鮎と言う漢字は奈良時代頃より使われていたらしく、当時の意味は何とナマズのことを指していだそうだ。季語としても使われることが多く夏を示している。

春の季語には岩鮎、秋は落ち鮎、冬は氷魚などが使われている。

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【ガサガサと魚突き】https://youtu.be/NAU_ZnEMD8c

「突如染まった川の水」

<鮮やかな蛍光グリーン>

奈良県生駒市に流れる竜田川

この奈良の川、鮮やかな蛍光グリーンに突如、染まってしまった。

その正体は「発色剤」と判明。

入浴剤などに使用される「フルオレセインナトリウム」だという。

人体に無害な化学物質ではあるが、スライムの様な色がまさに異様な雰囲気を醸し出している。
<いったい何故?>
水面が鮮やかな蛍光グリーンに染まったのは5日で、生駒市などによると、変色は市内西松ヶ丘の「モチ川」からはじまり、下流で合流する「竜田川」にも緑色の水が広がっていたという。

ただ、鮮やかに変色した竜田川でも蛍光色の中で魚が泳いでいた様だ。

市と警察などが現場を調査したところ、モチ川の手すりや壁には、赤色の粉の様なものが付着していて、水をかけると緑色に変色したという。

粉の様なものは水路の壁や道路などにも約20mにわたって付着していた。

午後には、高圧洗浄機を使って水路の壁に付着した粉を除去する作業が行われ、水質検査が行われた。

<物質の正体>

物質の正体は「フルオレセインナトリウム」というものだった。

その後、奈良県により、物質の正体は入浴剤等に使用される発色剤の主成分である「フルオレセインナトリウム」であることが分かる。

県によると、この物質は人体への有害性がない化学物質だということだった。

<まとめ>

市は県の分析結果を踏まえて、農業用としても使わないよう注意を呼び掛けていたが、安全が確認された為、呼びかけを解除したという。

そして今後、発色剤が混入した経緯などについて調べる方針。

つまり、物質は特定出来たものの混入した経緯がまだ謎のままだということ。

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「環境問題浮き彫り」

<分別の徹底が不可欠>

焼け跡から見つかったのはリチウム電池

少し前の話、埼玉県で、ごみ処理場の火災が発生。

原因はリチウム電池だったいう。

修理にはなんと3千万円、焼け跡からリチウムイオン電池などとみられる残骸が発見された。
さいたま市桜区の桜環境センター内にあるリサイクルセンターで4月に起きた不燃ごみのリサイクル設備にある選別機などが焼ける火災が起き、家庭ごみとして捨ててはいけないリチウムイオン電池が混入して発火したとみられ、修理費は約3千万円。

リサイクル設備は5月の連休明けまで稼働出来ない見通しだった様だ。

市はリチウムイオン電池を家庭ごみとして捨てないよう呼びかけているとの事だが、私の住む地域でも、分別回収が既に行われているが未だ周知徹底されていない様に思う。

市環境施設管理課によると、ごみ収集車から持ち込まれた不燃ごみは一旦ピットにためられ、その後、2度のごみを砕く工程を経て、選別機で可燃ごみと鉄やアルミとに分類される。

今回の火災は、選別機と選別されたごみを運ぶベルトコンベヤー付近で起きたという。

携帯電話や小型家電などに使われるリチウムイオン電池は、つぶれたり砕かれたりすると発火する性質がある。

ピットやごみを砕く箇所には火災報知機と散水設備があるが、水をかけると故障する選別機には、市はこれらの設備をつけていなかった模様。

<鎮火まで5時間>

そのため消火作業に手間取り、鎮火までに5時間近くかかり、焼け跡からはリチウムイオン電池と見られる残骸が見つかったという。

この電池が原因の火災でさいたま市のごみ処理施設が長期間止まるのは初めてだそうだ。

今は仮復旧を経ているが完全復旧の見通しは立たないらしい。

修理費用は約3千万円だが、保険が適用されるため新たな予算措置は必要ないという。

同課は、市が定めるごみの出し方に基づき、同電池が持ち込まれなければ火災は起きえない。

<分別の徹底>

市は、ごみの分別を徹底していただくしかないと訴えるており、リチウムイオン電池の廃棄について、携帯電話などから取り出して電極にテープを貼り、家電小売店や区役所、市立図書館などにある回収ボックスへ入れるよう促している。

県内では2020年10月、上尾市の西貝塚環境センターの粗大ごみ処理施設で同様の火災があり、ベルトコンベヤーを難燃性に変えるなどの復旧に総額約4億8千万円、復旧までの間に他の自治体へごみ処理を委託した費用約5千万円もかかったとされる事例がある様だ。

<まとめ>

大野元裕知事は、東京、神奈川、埼玉、千葉の知事と政令指定市長が集まる九都県市首脳会議で、リチウムイオン電池の分別を徹底するよう呼びかけた模様で、県は昨年度、全自治体を対象に、ごみ処理施設などでリチウムイオン電池による火災などが発生したかを調査したが、そのうち6割が事故があったと回答したという。

6割をもう少し5割以下にする目標が理想だろう。

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「糖蜜で黒く染まる伊是名島の海」

<海が真っ黒に>

原因は製糖工場の糖蜜

これは漁業への影響も深刻。
沖縄で、伊是名村の製糖工場でサトウキビを絞った後に出る大量の糖蜜が海に流れ出し、流れ出た量は不明で、養殖のアーサも黒く染まり漁業への影響は避けられないという。

伊是名製糖工場から流れ出した糖蜜の影響で伊是名村の海岸から沖に向かって幅200メートル、約1.5キロにわたって海が黒く染めていた。

糖蜜はサトウキビを絞った際に出るもので、海に流出していると住民から製糖工場に連絡があり事態が発覚。

養殖されたアーサも黒く染まり辺りは糖蜜の甘い匂いが漂っているということで、漁業への影響は避けられず、JAおきなわが会見し糖蜜が流出した経緯を説明したという。

製糖工場では水が混じり売り物にならなくなった糖蜜900トンを処分するため所有する畑と沈砂池に合わせて約350トンの糖蜜をまいていて、これが沈砂池の側にある側溝から糖蜜が溢れ出し海に流れ出たとしている。

<原因と影響>

これまでに流出した糖蜜の量は分かっていない。

JAおきなわは流出の原因や海洋への影響を調べている。

ただ、漁業への影響は避けられないとしている。

養殖されたアーサの被害の全容はいまだ把握できておらず、JAおきなわは漁業被害を調査するとともに糖蜜が海に流出した原因などを調べている。

<まとめ>

河口付近に設置されたアーサの養殖場に被害が出た事は把握済みの為、補償する考えがある様だ。

JAおきなわの前田典男理事長は、伊是名村の誇りであるきれいな海を汚し、重要な産業である漁業にも大きな影響を与え、ご迷惑をおかけしました、大変申し訳ございません、原因究明と再発防止の徹底をはかっていくと謝罪した様だ。

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「こんな所で発見に驚き」

京都府立植物園で驚きの生き物が>

京都市左京区にある京都府立植物園で、なんと、オオサンショウウオが見つかるというニュースが飛び込んで来た。

園での発見は聞いたことがないという。
植物園の敷地内の広場で見つかったのは、紛れもなくオオサンショウウオ
30日の朝、1匹のオオサンショウウオが、木の根元にいるところを見つかり、市に保護された。

園の職員は「園内での発見例は聞いたことがない」と驚いていたそうだ。

<天然記念物>

オオサンショウウオの在来種は国の特別天然記念物。植物園西側の鴨川にも生息し、中国原産種との交雑が進んでいるらしい。

園によると、午前9時40分ごろ、来園した親子からオオサンショウウオらしきものがいると連絡があった。

職員が正門北側の「未来くん広場」の木の根元でじっとする体長約1メートルのオオサンショウウオを見つけ、市文化財保護課が保護した。

<行動と大きさにビックリ>

園と鴨川との境界には高さ2メートルほどのフェンスがあるが、下部の隙間から侵入したのではないかとみられ、小林正典副園長は「鴨川から土手を登ってここまで来るのかと驚いた」「大きさにもびっくり」とコメントしている。

文化財保護課によると、6~8月は繁殖期で活発になり、噛む恐れもあるらしく、陸上で見つけた場合は触らずに課に連絡してほしいそうだ。

<まとめ>

加茂川のすぐ上流は渓流。

だとしたら居てもおかしくはない。

ただ、平地の陸上を進んでは一休みを繰り返して植物園内の池に入ったか。
放流か保護飼育のどちらになるのか、長生きして欲しいが、オオサンショウウオは天然記念物だから、本来の生息域でない場所で見付けて報告すれば、水族館から係員が直ぐに来たかも知れない。

箕面の滝の川にも居たという情報もある様だ。

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「カラス駆除中の鷹が人を襲う」

<鷹が襲ってくる>

カラス駆除中の鷹が、なんと下校中の小学生らに襲いかかり、鷹の爪で挟まれてケガをしたという。

滋賀県甲賀市でそれは起きた。

小学生は頭などにけが。  

甲賀市水口町の路上で、50代の男性から「鷹に襲われた」「小学生も襲われた」と警察に通報が入る。

鷹は、通報した50代男性を襲った後、下校中だった小学1年生の男子児童の耳や頭などを後ろから爪で挟み、小学1年生の男子児童は軽いけがをして、病院で手当てを受けたという。

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<モモアカノスリ

鷹はその後、近くにいた人が棒で追い払い、飼い主の32歳の女性鷹匠が捕獲した。

鷹は生後11ヶ月のモモアカノスリで、翼を広げると横幅が約1メートルになる大きさだという。

当時、近くの会社からの依頼を受け、女性鷹匠がカラスの駆除を行っており、警察は、管理をしていた女性鷹匠に事情を聞くとともに、業務上過失傷害などを視野に入れて捜査した。

<まとめ>
鷹に罪を問うようなことは決してしないで欲しい。

そもそも野生の動物が、人間に都合良く仕込まれて使われているだけ。

想定外のトラブルは多少はあって当たり前。

人間の良い様にに使い、トラブルがあったら人間以外の何かのせいにするのは間違っている。

事故があったなら鷹ではなく、その主がきちんと責任取り、今後も同じトラブルが懸念されると言って、鷹にもトレーニングの負担を課す方法も見直すべき。

児童達も騒ぐ、餌の様な物を見せるなど野生動物を必要以上に刺激する行動がなかったか、こうした取り組みに対して今一度注意喚起が必要だと思う。

「タンカーの船底は何故赤い?」

<詳しい解説>

海運会社社長の解説が、こんなにくわしい説明は初めてと話題の様だ。
神戸にある海運会社「東幸海運株式会社」(本社、神戸市東灘区)が公開した、タンカー船の舞台裏を紹介する動画が話題になっている。

中でも注目を集めるのは「なぜ船底を赤色に塗装するの?」という質問。

解説するのは同社社長の笹木重雄さん。

噛み砕いた説明や落ち着いた口調が評判を呼び、ネットユーザーからは「こんなにくわしい説明は初めて」「分かりやすい」「面白い」「わくわくした」「勉強になった」と好評だった様だ。

<赤色の理由を笹木社長に聞くと>

塗料の塗り直しは大変な作業らしく、4~5日かけて船底を赤い塗料で塗り直すという。

なぜ船底を赤色に塗装するのか…

ズバリ社長は、船底にフジツボなどが付かないようにする為だと言う。

フジツボとは、岩や船底、他の動植物にくっついて動かない固着生物。

これは、甲殻類でエビやカニの仲間。

笹木社長によると、船底にフジツボが付着すると船の速度が落ち、燃費も悪くなるそうで、普段14.5ノット(時速26.8km)出るタンカー船が12ノット以下(時速22km以下)になる事もあるそうだ。

そこで登場するのが赤色の亜酸化銅、亜酸化銅という成分が含まれている塗料を使う事が多いと言う。亜酸化銅にはフジツボの付着を防止する効果があると言われ、この成分が赤色なので船底塗料も赤色になることが多い。

塗料は1年で溶け、1隻にかかるペンキ代は、年間1隻あたり、年間のペンキ代だけで約220万円程度、これにメンテナンスの人件費などを加えると大体400~500万円が毎年掛かる事になる様だ。

当社の船は5隻ですので、その約5倍の塗装コストが毎年掛かっており、古い船ほど補修の面積が増えて高くなるという。

<船底が赤いのは万国共通か>

酸化銅は船底塗料成分として最も一般的に使用されている塗料で、原材料が赤色の物が最も安価だが、費用を追加すると他の色にする事も出来る。

例えば、漁船などでは魚に気付かれにくい青色にされるケースもある様だ。

<塗装作業の手順は>

最初に船体の水洗いを行い、塗膜が傷んだ部分をグラインダーで削り、鉄が露出した部分にさび止めを塗装、その後に亜酸化銅を含んだ塗料を塗る。

塗り直しのタイミングは、当社の国内航路を航行するタンカー船は年に1回のメンテナンス期間があるため、都度1年で溶けるだけの船底塗料で塗装を行う。主にフジツボの付着で船底が汚れると、途端に船の速度が落ちる事になるので、なるべく短い期間でのメンテナンスが好ましい。

海外航路の船舶は、メンテナンスそのものが当社船を含め5年間に2回のケースが多く、3年間分の塗料を塗るケースもあるそうだ。

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<まとめ>

塗料が溶けると海への影響は無いのか。

船底塗料の仕組みとしては、段階的に溶ける樹脂の中の亜酸化銅成分がほんのわずかずつ船底に溶け出し、フジツボの幼生が付着するのを妨げる程度の刺激を与える事だそうだ。

1990年代まで使用されていた有機スズの塗料に比べて海洋生物への影響は小さいと言われている。

 

 

「日本一の砂丘は鳥取じゃない?」

<もう一つの最大級は青森に>

日本の巨大砂丘と言えば鳥取砂丘

おそらく多くの人が思い浮かべるはず。

しかし、国内には別の最大級の砂丘があり、そちらの方が大きいと言われる事もあるのだとか。

知られざる理由は、その砂丘が立ち入り禁止の為だからだ。

<一体どういう事なのか>

どうやらこの砂丘には、防衛省の実験場がある様だ。実施される試験は「静爆試験」「水中爆発試験」「スレッド試験」など。

その砂丘とは、青森県下北半島東通村にある猿ヶ森砂丘

アイヌ語の「サル・カ・モライ」に由来するらしい。太平洋に面して南北約17km、東西約2kmに広がる巨大な砂丘だ。

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<豊かな自然がある>

このエリアの資源を活用した保全・研究、教育・防災、地域振興などに取り組む下北ジオパークによれば、猿ヶ森砂丘の中には、砂の移動によって水の流れが堰き止められてできた大小さまざまな湖沼や、かつてのヒバ林が砂に埋もれた様子を観察できるヒバの埋没林など、豊かな自然があるとのこと。

鳥取砂丘より大きい?>

鳥取砂丘よりも大きいと言われる事もある猿ヶ森砂丘、実際のところはどうなのか。

これには先ず、砂丘について抱きがちな誤解として岸付近の起伏のある砂浜というものがあり、実際にはそうではなく風によって運ばれた砂が堆積してできた丘状の地形のことを指すらしい。

つまり、植生に覆われていたり農地や市街地に活用されていたりしても砂丘である場所が発生。

猿ヶ森砂丘の面積は広く見積もって約3000haであり、鳥取砂丘も約2500haの広さがあるという。

<そもそも難しい砂丘の定義>

ネット上には猿ヶ森砂丘について、砂丘自体の面積は15000ha、鳥取砂丘の30倍といった情報と共に同砂丘が日本最大と書き込まれることがあり、ただ、実際には日本一かどうかの判別は難しい為、誤解とのこと。

そして、判別が難しいもう一つの理由は、猿ヶ森砂丘、大部分が1959年から防衛庁(現防衛省)の試験場として弾薬などの実験に使われており、一般人は立ち入り出来ず、その為、正確な面積の計算もしにくいという事らしい。

砂丘の中央は実験場、両端からは巨大な砂丘を望めるものの、そこは近隣集落の共有地になっており、集落の許可が必要とのこと。

猿が森砂丘も日本最大級でありながら、あまり知られていない。

<まとめ>

鳥取県の担当者のコメントでは、面積ではおそらく猿ヶ森砂丘が最大という回答。

巨大砂丘のイメージは、実際に調べてみると、また違った日本の一面が見えて来る。

 

「里山散策」

 

生駒山系近畿自然歩道を行く>

かつて河内国津田城があった国見山を登ると、気軽な軽登山が出来るとあってワクワクしながらスタート。

夫婦岩→展望デッキ→山頂→休憩所→津田城土塁跡

というルートで周り、所々で野鳥リスニングをしてリラックスをした。

展望デッキや山頂から見える景色も爽快で気持ちの良いものだった。
 <国見山展望台>

少し枚方八景について、その歴史に触れると、河内国交野郡にあった津田城とは、二ヶ所あったという説が私は興味深い。
一つは、標高286.5メートルの位置に築かれた国見山城とも称された城。

そしてもう一つは、津田村そのものか、それを含む一帯の城だという。
この辺りは、在地領主の中原氏が勢力を持っていた後、次第に津田氏に取って代わられ、その津田氏三代目にあたる正明の時代に、三好長慶に属して、更に勢力を拡大。
交野郡の牧八郷と茨田郡の鞆呂岐六郷を併せて一万石余りの領有と、杉・藤坂・長尾・津ノ熊・大峰などの新村も開発するなどして勢力を拡げた様で、奈良興福寺との関係を持ち、津田村・藤坂村・芝村・杉村・穂谷村の「侍中」を津田筑後守範長が率いていた事が、永禄2年8月20日交野郡五ヶ郷惣待中連絡帳から明らかになっているそうだ。

<津田山城内>
津田は京都までの街道上の要地として重視されていた様に思う。
つまり、国見山城は、京都まで見渡せる視界を持ち、津田は交野平野ともいうべく、天野川が流れる平地一帯も見渡せ、幾本もの街道も見る事が出来るからだ。

津田村も比較的標高の高い位置だが、その地塊に続く三国山に登れば、津田村周辺と共に、摂津国の高槻方面にある芥川山城も含む、広大な視界を手にする事が出来る。

津田氏は、三好長慶に属する事で自己の支配領域拡大に役立て、長慶もその安定的な存在を自己の政権安定の一要素として活用した。

津田城が上と下の2つを運用していたと考えたのは、上の城である国見山城は、京都への対応のため、摂津・河内両国の連携に必要だったからだという。

おそらく、高い所の施設の維持管理には費用が重み、人員も必要になる。

そこを担当する津田氏は優遇されたのだろう。
一方、下の城である津田村は、津田氏の活動拠点であるため、人や物が集中してそこに集まり、いざという時にそこを守る必要があり、城郭化せざるを得なかっただろう。

尊光寺という津田氏一族の寺が現津田元町に存在し、村は津田氏と一体化した存在だったと思われる。

<その後の津田氏及び津田城>

三好長慶の死後、三好三人衆松永久秀の闘争に巻き込まれて苦悩するも、命脈を保つ。
更に、将軍義昭・織田信長の時代に動乱があり、荒木村重も関わった天正3年の河内国平定の時(四代津田正時の頃)には津田村も焼かれ、勢力を縮小させながら地域の動揺に耐えていたが、本能寺の変の頃には明智光秀に応じたために、決定的な打撃を受けて弱体化してしまったという。

<まとめ>
津田の秋の稔りは、元々肥沃で地の利もあり、また、村人の勤勉さもあって村は復興し、現在に至る。
正保郷長の村高は1,018石で、米の他に大麦・小麦・綿・菜種・芋・茶・大豆・大根などが取れ、酒造業・絞油業・素綿業が営まれ、宝暦10年(1760)には、1,317人が住む村となっており、石高と業種の多さから見ると豊かな村だった事が窺える。

これ程の場所なら、やはり、政治的特権を得れば相当に栄えた事は容易に想像ができ、上下2つの城を持つ事も不可能ではなかっただろう。

【国見山】https://youtu.be/lKZU5H6fbR0

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「幻のバス天丼」

 

<琵琶湖の魚の天丼>

オオクチバス、つまりブラックバスの事だが、これを使った天ぷら「バス天丼」なるものがあるそうだ。

客の反応は「えっ?」と思うほどの、いつしか幻のメニューになってしまった天丼だ。

滋賀県草津市で撮影されたバス天丼があるそうだ。
そもそも琵琶湖の「ニゴロブナ」を使った鮒ずしで有名な滋賀県

しかし、同じく琵琶湖で捕れるある外来魚を使った珍しい料理があり、それが「バス天丼」バスって、もしや、と思うそのもしやなのだ。

ブラックバスを食す理由>

琵琶湖で小型の在来魚や稚魚を食べて問題のオオクチバスブラックバス)。

バス釣りブームで、1970年代に琵琶湖にも持ち込まれ、80年代に急激に増加した。

そして、県は、85年から駆除対策事業に乗り出した。県水産試験場が推定したオオクチバスの生息量は、2007年に約440トンだったが、20年には、約230トンとほぼ半減した。

県立琵琶湖博物館草津市)では、下処理した琵琶湖産のオオクチバス料理を館内のレストランで提供し、駆除の一助となってきた。

オオクチバスは、皮のぬめり部分に臭みがあるとされ、提携している漁協で皮を取り除き、下処理した切り身を使っている。

同館で人気だったメニューが、「バスバーガー」。オオクチバスの肉厚な切り身を使い、フィッシュバーガー風に仕上げたもの。

しかし、駆除が功を奏し、バーガーに使えるサイズのオオクチバスが捕れなくなり、最近は、提供されなくなったという。

<バス天丼実際の味は?>

バス天丼のお味は、臭みはなく、自家製ハーブ塩がきいた白身はほろほろと軟らかい。

同館レストラン「にほのうみ」の店長によると、オオクチバスと知らずに注文する客も多いという。

料理を出す際、オオクチバスを使っていますと説明すると、たいていの客が困惑する。

ただ、食べた後は「こんなに美味いのか」と驚く人多数なのだ。

<まとめ>

水質の問題が無ければ、いろいろと活用出来そうだ。ブラックバスの切り身から骨を抜いて食べやすくし、料理レシピを付けて、真空パックで淡水スズキの様な感じで売り出せるかも知れない。
つまり、スズキ科の魚だから、淡白な白身で食べやすすいのではないか。
こういった試みをどんどんして欲しい。

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「オノミチキサンゴ」

 

<生きていたオノミチキサンゴ>

笠岡諸島近海で、34年ぶり確認。
笠岡市は、笠岡諸島沖にて、オノミチキサンゴが確認された。

大型の方にはオレンジ色の枝の中に同系色のカワハギの仲間が身を潜めていた。

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<発見者は山陽新聞社の記者とカメラマン>
瀬戸内海にすむ珍しいサンゴの一種「オノミチキサンゴ」が笠岡諸島の近海に生息していることを山陽新聞社の記者とカメラマンが確認したそうだ。

34年前の1988年に同社取材班が潜水取材中に発見したのと同じ場所で、地球温暖化に伴う水温上昇や海水の貧栄養化など環境の変化にさらされながらも、静かに命の明かりをともし続けていた。

水深約10メートルの岩場。グレー調の視界の中に色鮮やかなオレンジ色の2体が並んでおり、上から見ると、大型は長径70センチほどの長円形。

小型は縦10センチ、横20センチほどの長方形。

石灰質の枝を四方八方に伸ばし、その隙間には小さなカサゴやカワハギの仲間が身を隠していた。

来年から本紙朝刊で連載する企画「里海からの警告 豊かな循環へ」の取材中に確認したという。

<イシサンゴ目キサンゴ科>

オノミチキサンゴはイシサンゴ目キサンゴ科に属し、イソギンチャクのような小さなポリプ、つまりサンゴ虫がたくさん集まって出来るそうだ。

瀬戸内市にある岡山大牛窓臨海実験所は、岡山県近海では滅多に見られることがなく、34年前に発見したものと同じサンゴではないかと推測している。

当時の写真と比べると、大型の方は一部が白化しているように見えるが、一回り大きくなっている様だ。

<まとめ>

当時、取材班を案内した元漁師で潜水士の、79歳のKさんが、その時の記録や魚群探知機で海底の地形を探りながら場所を特定した。

カメラの映像で再会を果たしたKさんは、正直、生存しているかどうかは半信半疑だったと思い、命のたくましさを感じる、本当にうれしい、と話していた。

まさに生きる力、素晴らしい。

「足の切れたタコ」

<足切れダコ>

もう去年の12月の話だが、足の切れたタコ、そんなタコが岡山で水揚げ、相次いだ。

倉敷市下津井地区で水揚げされたタコ。

足が切れて真っ白な断面が見える。

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8本あるはずの足が数本欠けたタコが、岡山県近海のあちこちで水揚げされている。

原因ははっきり分からず、専門家は地球温暖化などの影響で増えた魚に食べられる食害や、餌不足による共食いの可能性を指摘しているそうだ。

倉敷市下津井地区は、下津井ダコで良く知られる。漁協によると、足切れダコは数年前から目立ち、数本が根元からちぎれていたり、再生中の短い足が交じっていたりする。

近年では、そんなタコが、水揚げ量の半分以上を占める日もあるという。  

玉野市の漁協は、足切れダコが水揚げ量の約4割に上ったこともあるとし、同じ瀬戸内海では瀬戸内市三原市でも確認されているそうだ。

<専門家によると>

タコの生態に詳しい東京海洋大の團重樹准教授は、餌のカニや貝が減っている一方、水温上昇などで、天敵のハモやマダイが増えていることもあり、安全なすみかを離れて餌を探しているうちに食べられたり、共食いしたりするのではないかと推察している。

<まとめ>

足が揃わないと、タコは取引価格も落ちる様だ。

倉敷市下津井田之浦の組合長は、海の環境が変わった、しわ寄せがタコに来ている。

漁獲量も減っており、商売あがったりだと嘆き節を漏らしている。

こんな状況なら、しっかり録画してビデオに収めて周知徹底し、改善に取り組むべきだ。

「生態系に危機的影響」

 

<チリにある砂漠で異変>

チリで世界のごみ捨て場と言われている砂漠、アタカマ砂漠は、生態系に危機的影響を及ぼしているという。
生命が存在するとは思えないほど荒涼とした風景が広がるチリのアタカマ砂漠には独自の生態系が存在しているが、しかし今、世界中から集まるごみの山によって、その繊細な生態系が脅かされているのだ。

<捨てられたのは大量の廃タイヤや衣類>

アタカマ砂漠の少なくとも3地域は、衣料品や靴、タイヤ、廃車の墓場と化している。

砂漠の町アルトオスピシオのパトリシオ・フェレイラ町長はAFPの取材に対し「もはや世界のごみ捨て場だ」と嘆いていたそうだ。

環境NGOエンデミック・ルーツの代表、カルメン・セラーノ氏は、アタカマは「資源を搾取し、私腹を肥やす」には都合の良い「草木も生えない不毛の地」と思われていると批判しているという。

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<世界的な意識の低さの犠牲に>

チリは以前から欧州、アジア、米国の古着や売れ残りの衣料が集まる拠点で、それらは南米各地へ転売されるか、砂漠に捨てられている。

昨年は、世界中から4万6000トンを超える古着がチリ北部のイキケ免税区域に流れ込んだ。

化学物質を素材とし、生分解に200年もかかるこうした衣類が土壌や大気、地下水を汚染していると環境活動家は指摘している。

衣類の山に火が付き、有害物質を排出する時だってあるのだ。

フェレイラ町長は、「世界的な意識の低さ、倫理的責任の欠如、環境保護への無関心」のせいだと嘆く。

「私たちの土地は犠牲にされていると感じます」と訴えている。

<火星に近い地形>

広さ約10万平方キロのアタカマ砂漠は、800万年以上前から地球で最も乾燥した場所となっている。

中でも最も乾燥しているのはユンガイ地区で、基本的に水がなく、太陽が激しく照り付け、栄養となるものもほぼないそうだ。

しかし、この厳しい環境でも微生物の存在は確認されている。

科学者たちが考えるに、こうした微生物に地球や他の惑星での進化や生存の秘密が隠されている可能性があるのだそうだ。

米航空宇宙局は、ユンガイ地区を地球上で最も火星に近い地形と見なし、探査機のテストに利用している。

<極めてもろい生態系>

アタカマ砂漠の降雨量はごくわずかだが、広い範囲が霧で覆われるため、地球上で最も生命力の強い地衣類、菌類、藻類などは育つ。

また数年に一度、例年以上の雨が降ると、色鮮やかな「砂漠の花畑」現象が見られるそうだ。

生態学生物多様性を研究する現地NPOの研究員でサボテン専門家のパブロ・ゲレロ氏は、アタカマ砂漠の生態系は「極めてもろい」と話し「降水量や霧のパターンの変化や減少が生物種に直ちに影響」と説明している。

<まとめ>

ゲレロ氏は、汚染、気候変動、人の定住の影響で、すでに「絶滅したと思われるサボテン種もある」と言う。

「残念ながら近年、環境は、非常に大きな規模で着実に悪化しています」と断言している。

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「古民家に住み自給自足生活」

<自給自足生活>

20万円で買った古民家に住む、ある男性の話。

その「自給自足」の現実とは…
お金にも文明にも頼らず生きるということ。

その家は、20万円で築100年以上の古民家。

2019年頭に購入し、屋号は百之助というそうだ。

<最初はまず掃除から始まった>

百之助は、傾斜地に石垣を組んで作り出した平地に建っている。

明治期に建てられたと思われる母屋は、間口6間、奥行2間半で、釘を使わずに組み上げられた日本古来の構造建築である。

母屋はそれぞれ10畳の土間、中の間、東の間と仕切られていて、その母屋の北側に、昭和期に増設されたと思われる6畳の部屋と7畳半の台所がついていた。

母屋は養蚕用の構造になっており、2階でカイコのスペースを確保するため、1階の天井がやや低い。

1階の梁に頭をぶつけないか気になるものの、こぢんまりとした堅牢な造りが、100年以上経っても潰れなかった理由と思われる。

<懐かしい昭和の匂い>

長年放置されてきた1階はゴミ溜めのようになっていて、湿気を吸って波打つ畳、東の間に3台並んだベッド、破れた障子、そして床にゴミとして散らばるカレンダーや新聞、古い電気製品。

そして、食品の賞味期限は25年前の日付だった。 

3台のベッドの布団のカバーには、介護施設の名前がマジックで書いてあった。この家に最後に暮らしたのは、寝たきりになった老齢の方、3人だった様だ。

蕗沢集落の老人が全員ここ百之助に集められていたのだろうか。

畳の下の板は腐り、ともかくどうしようもなく汚い廃屋だったが、どこか懐かしい昭和のニオイが満ちていたという。

<何となくから始まった>

三方が山に囲まれ、渓沿いの小道が屈曲して3キロ下のバス道路に繫がっている。

母屋の西40メートルに渓流が流れ、鳥、風、ときどきはるか上空を飛んでいく飛行機の音しかせず、携帯の電波はもちろん届かない。

最初から明確に、出来るだけお金を使わずに自給自足する生活をイメージしていた訳では無かったらしく、なんとなく田舎の古民家ならば、水や燃料などの公共料金を支払わずに、暮らしが成り立つのではないかと考えていた程度だったという。

だが、百之助で、畳の上に散らばったゴミを寄せ、できあがったスペースに寝転がって、釘をまったく使わない伝統木造建築のすすけた天井を見ているうちに、自分が漠然と考えていたことが、次第に頭の中で輪郭をもっていくのがわかったらしい。

<家を建てるのも生活するのも全て現地調達>

百之助の母屋を造っている材料(木材や茅や土)は、どこかで購入して、持ってきたものでは無く、そもそもこの家は、車が世の中に普及する前に建てられており、建材をよそから運び込むことは出来なかった。

木こりが、周辺の山から丸太を切り出し、皮を剝ぎ、大工が刃物を背負って麓の村から登ってきて、チョウナという斧の一種で、削る作業に使う道具で、大雑把に製材し、曲がったり歪んだりした柱と梁にホゾを切って組み上げたのだ。

梁にも柱にも削った跡が残っている。

土壁や土間の土ももちろん現地調達。

屋根の茅は集落のどこかにあった茅場から刈ってきたもののはずだという。

つまり、全て現地調達するしかなく、建てた後も、身の回りから食料や燃料を調達し、生活するしかなかった様だ。

だからこそ百之助は、そうやって生活できるように設計されていた。

沢から水を引いて、水船という水を受けて溜めておく水槽で受け、家の中の囲炉裏やカマドで火を燃やせるようになっている。

<はっきりと分かった惹かれる思い>

何故、自分が強く古民家に惹きつけられるのかが、このときはっきりとわかったそうだ。

まだ現代文明が一般に浸透していなかった時代に建てられた家は、自給自足で生きることを前提に造られており、そんな古民家こそお金にも文明にも頼らずに生きるための最高の住処になる。

古民家こそ、自分の力で生きるための最強の施設、最強のパートナーなのだと。

<家屋は生き物同様>

家屋とは本来、代謝循環するという意味で生き物と同じだ。屋根の茅は10年ほどで葺替え、障子は毎年貼りなおし、土壁は傷んだところを塗りなおし、土間も日々水をまいて踏み固める。

それら家をなす材料は周辺の山から調達される。

だが、百之助に最後に住んだ老人は、材を山から調達し、修繕するには歳を取り過ぎていた。

崩れた壁には新聞紙が貼られ、その上から、3ミリ厚の合板で壁全体が覆われていた。

壁の修繕に使われた新聞には昭和44年とある。

トップ記事はアメリカ軍のベトナムからの撤退開始時期についてだったそうだ。

<カマドウマが跳ねる床を綺麗にする>

茅葺き屋根にはトタンをかぶせてある。茅の葺き替えが難しくなった現代で、よく行われる屋根の処理法。

もし葺き替えるとしたら500万円くらいかかり、20万円で購入にした家の屋根の葺き替えに500万円出すことは出来ず、屋根は当分トタンのまま、古くなった茅葺き屋根は、内側から少しずつ二階に崩れ落ちているが、屋内で火を焚いて、いぶすことで、いくらか収まるらしい。

玄関の戸はアルミサッシが入っていたが、ガラスが一枚完全に割れて、戸になっていない、板を立てかけて塞いであるが、隙間から鹿が出入りし、土間には糞が落ちている。

1階の2部屋にざっとホウキをかけ、ぞうきんで水拭きするが、波打った畳は拭いても拭いてもぞうきんが真っ黒になったり、台所にはネズミのパーティのあと。そして、掃除中もカマドウマが飛び跳ねていく。

大掃除の末、なんとか、床、屋根、壁、窓、玄関によって、外界とは仕切られた閉鎖空間が完成。

屋内はまだゴミだらけだが、一人が寝転がるスペースはある。

出入りし始めた当初は、庭で焚き火をして炊事していたが、その後、時計型の薪ストーブを土間に設置したそうだ。

<大切な水源>

家の西側を流れる沢を120メートルほど登った所に、かつて村で使っていた共同の水源の跡がある。

水源は伏流水の湧き出しで、この村で一番良いものは水だといえるくらい綺麗だという。

惜しくも現在は湧水の場所が昔より少し下流にずれてしまい、かつて使われていたモルタルの水槽は使用することは出来ない。

最初は、とりあえず沢の水を放置されていた梅酒用の大きな瓶に汲む、水汲み生活から始まったそうだ。

天井に竹を渡し、その竹によしずを載せるようにして、崩れ落ちてくる茅を仮に受けた。ストーブも、水も、天井の処理もなにもかも仮だが、山奥で廃屋寸前だった古民家が、少しずつ息を吹き返していくのがわかった。

<電気製品はほぼ使わない>

テレビ4台、冷蔵庫2台、洗濯機1台、照明器具無数、ラジカセ、その他もろもろが、屋内のあちこちに転がっていた。

木製のものは薪にするつもりだが、電気製品やプラスチックなどの無機物はやっかいである。

動く動かないは調べず、すべて捨てたという。

100ボルトの電気を引く予定はないので、電気製品はほぼ使えない。

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<まとめ>

古民家で自給自足生活するなら、大工道具や農具、古い建具、古い家具、天然繊維の布団は残そう。

100年前と同じ生活道具は、燃えるか土に返るものだ。昔からある古い道具と、ここ20年ほどの電気製品やプラスチックを分けていると、世界中が石油由来のガラクタだらけになっていることを実感する。

個人では処理できないものを廃品回収業者に回収を頼むなら、出来るだけ、テレビや冷蔵庫などの特殊機器は廃棄処理に使い、薪にならない可燃物は、ドラム缶で簡易的な焼却炉にして、少しずつ燃やす。

自給自足で暮らしていた時代に建てられた家、つまり古民家は、自給自足がやり易い様に出来ている。

沢水や井戸水を使い、薪を屋内で燃やして生活できるように設計されているからである。

現代的な家屋では、カマドで煮炊きしたり、薪でお風呂を沸かしたりするのは難しい。

自力で生活しながら快適に生きるには古民家を現代風にリフォームすることなく、昔のまま使うのが良い。