<長尾菅原神社 >
拝殿。
御祭神 菅原道真公。
学業成就や合格祈願の神様。
元和元年(1615年)大坂落城の後、徳川家康の命により、旗本の久貝因幡守正俊公(くがいいなばのかみまさとし)が河州交野郡(四条畷・寝屋川の東部地域)を采地された。
当時の長尾の丘陵地は荒野で河内、山城の国境で交通の要所であり、古来から戦略上の要地であった為ここに陣屋を営まんとした。
<臥牛の像>
「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「菅公の御遺骸を運ぶ途中に、車を引く牛が座り込んで、動かなくなった為その付近の寺院、安楽寺に埋葬したが、それが道真の墓所(太宰府天満宮)でその位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。
この事により牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。
又、牛は水神との関係が深く古代のころ旱天(かんてん)時の雨乞いに際して生贄として献げられことから、天神としての道真にも関係しているらしい。
この様に道真公と牛の関係は深い。
<高倉稲荷神社(ウカノミタマ命)>
延宝6年(1678年)久貝陣屋の北西隅に勧請されたもので『お陣屋稲荷』と呼ばれ、毎年初午の日には長尾以外からも多くの参詣者が集まり、氏神である神社本来の祭よりも賑やかだったらしい。
古くから女神とされてきたらしい。
伏見稲荷大社の主祭神であり稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。
<水神社(タカオカミ神クラオカミ神)>
所謂『水神さん』
元は本殿裏にあった2つの池の畔に祀られていたようで、18世紀末頃に今の位置に移った。
この祠は本社創建当時からあったといわれ、最初は「八大竜王」を祀る水天宮と呼ばれていたが、その後山城の貴船神社から分霊を勧請(かんじょう)し『貴船神社』と称するようになった。
神名“オカミ”は龍を意味する水神で、タカオカミは山上に降る天を司る水源の神、クラオカミは峰々から流れ降る渓流の水を司る神とされる。
<まとめ>
平安初期の太政官符に「河内の交野郡は土地が痩せていて、ややもすれば旱魃(かんばつ)に悩まされ、その田は一年おきの耕作にしか耐えない云々 』とあり、川はあるものの平素は水の少ない涸れ川ということで水利の便が悪く、水神さんへの雨乞いは恒例行事だったらしい。
このような土地柄が天神を祀り水神を祀る由縁だ。
【動画】菅原神社 https://youtu.be/x1zbn9Folnw