<源氏の滝を訪ねて>
交野山 は、その昔修験道の行者が苦行を重ねた場所でもあり、神聖なところとされている。
高天原本宮奥津宮神社 には、古事記にも登場する、世界を生み出したとされる八柱の天神が祀られている。
高天原本宮奥津宮神社 を越えて小道を少し入ると、右手の小川の際に南北に向いた鳥居が立つ。
この鳥居は、小川を渡り次の鳥居へと続く橋へと案内されている。
<糸吉神社(糸吉稲荷大神)>
橋を渡り、地道へと進むと ” 糸吉稲荷大神 ” への参道の入り口となる赤い鳥居が見えます。
あまり広くはないこの石段には手摺がない。
糸吉稲荷大神拝殿への参道は鬱葱とした木々に囲まれた石段を70~80メートルほど登りきると拝殿が建っています。
この糸吉神社についての情報は極端に少なく、その謂れ等詳細は分かっておらず。
糸吉大神(いとよしのおおかみ)とは、記紀の天地開闢(てんちかいびゃく)にも描かれている 「別天津神(ことあまつかみ)」のことではないのかと思う。
高天原本宮奥津宮神社 の祭神として天津神や国津神の名が記されていることから、分祀・分霊の関係にあるのではないかと推察する。
ほとんど人が訪れることが無いようにも思える糸吉稲荷大神神社ですが、糸吉の ” 結び ” に関して、独断的且つ希望的意見として、” しっかりと未来永劫離れない縁結び ” の御利益も期待できるのかなと思う。
糸吉大神 一の鳥居 からのんびり歩くこと1分、源氏の滝のすぐそばには、不自然にも感じるほどの巨石が転がる。
周囲は木々の枝に囲まれて、独特な空気感を醸し出している。
<源氏の滝ににまつわる伝説・夜泣き石>
(伝説の河内)
交野の里に源氏姫という美しい姫と、梅千代という可愛い少年が住んでいた。 源氏姫と梅千代は姉弟ではなかったが、二人とも幼いころ、母と生き別れた身の上で親身の姉弟のように一緒に暮らしていた。
その頃、大和と河内の国境に「おろち山」という山が有り、そこに一団の賊が住んでいた。その賊は、時折山を降りては近郷近在の家々を襲い掠奪をほしいままにしていた。
ある年の暮れ、この山賊の一団は遂に、交野の里にも現れ源氏姫の邸を襲い、姫と梅千代を縛り上げ引揚げた。
山賊の女の頭(かしら)に手下の一人が美しい姫と少年をさらってきたと報告すると、40になるかならぬの美しい女の頭は、早速その二人を連れてくるように命じた。
少年は襲われた際の驚きで、最早息絶えていた。
女の頭は、じっとその少年の死骸に眼を注いでいたが、急に顔色を変え、手下どもを別室に下げ、かれらが別室に去ると、急いで姫の縄を解き、少年の死体を抱き上げてはらはらと涙を流した。
この不思議な様子に姫は訝しく思ったが、可愛い梅千代の死体を見るともうたまらなくなり、「弟の敵、思い知れ」と叫びざま躍り掛かり、短刀で女の頭の胸を刺した。
けれども、女の頭はこれに抵抗するでもなく、姫の手を掴みながら「源氏姫、梅千代、許しておくれ」と、苦痛に歪む頬に涙を滂沱(ぼうだ)と流しながら叫んだ。
姫は仇の口から意外な言葉を聴いて愕然(がくぜん)とした。
女の頭の苦痛を耐えつつ途切れ途切れに物語るには、女は正しく二人の実母で、まだ女の頭が若い頃、ある家に嫁いで一人の姫をもうけたが、ある事情で姫を残して別れ、それから再び他家へ嫁ぎ、一人の男児を産むとまた離別した。
それから18年の月日を送ったが、二人の子供のことが気にかかり、山賊といえども一度は逢いたいと念じていた。
今日偶然にも二人の子供と意外な対面が母子相互いに殺し殺されつして悲しい最期を遂げるのだ、とのことであった。
姉弟のように暮らしてきた梅千代は弟であり、山賊の頭は姉弟の産みの母であろうとは。
しかもその母を自分の手にかけてしまったとは何とした悲しいことか。姫の目先は真暗になり、母と弟にすがり付いてはた泣きに泣いたのだった。
そして、姫はそこを飛び出すと付近の滝壷に身を投げて母や弟の後を追ったという。
<まとめ>
源氏の滝の入口、鏡池の東北のほとりに夜泣き石があるが、源氏姫が悲しみのあまり、滝壷に身を投げてから、この石が泣くというなんとも悲しい運命を辿る姫の心情が伺える。
大阪みどり100選に選ばれているが、心霊スポットとしても良く知られている。
【源氏の滝】動画 https://youtu.be/ww79ttkQCuM