自然派まさべえ

隙間時間を大切にしています。自然散策が好きです。

「木津川散策」

<昨岡神社>

少し読みにくいが「咋岡神社」と書いて、くいおか神社と読む。

京都自然200選の巨木がある神社。

別名「飯岡神社」
京都府京田辺市、木津川周辺を散策していたら、見つけたので参拝して来た。

<アクセス>
JR学研都市線三山木駅(近鉄京都線三山木駅)の北東約1.5km、駅北側を東西に走る府道65号線を東進、木津川に架かる玉水橋の西詰めの堤防道路を左折・北上、道なりに進んで飯岡集落に入り、二股になった分岐点を右に進んだ小道の左側(西側)高台(飯岡山・H=67mの山麓)に残る鎮守の森の一画に鎮座する。分岐点から前方に鎮守の森が見える。

<由緒>
祭神は、宇賀乃御魂神、菅原道真

社頭に掲げる案内(京田辺市教育委員会)には、
宇賀乃御魂神と菅原道真をまつり、天神あるいは天神宮と呼ばれていたが、明治8年、式内社、咋岡神社として認定されたとある。
木津川の氾濫により、江戸中期の元禄8年に現在地に移され、その際に菅原道真が新に祭神に加えられ整備されたことが、文書と石燈籠銘文から判明。
元の位置は、飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流点の箇所であったと口伝されている。
しかしながら当社の創建由緒、年代についての記述は残念ながらない。

<社殿等>
道路の左手、低い石段の上に鳥居が立ち境内へ。

境内正面に横長の拝殿。

(割拝殿、間口五間、奥行二間、瓦葺き)

その奥に本殿(一間社流造、方一間、銅板葺)が東面して鎮座する。社務所無人

<周辺の環境>

この辺りは、東側を迂回しながら北流する木津川と西側山間部にはさまれた狭隘な平野部(曾ての氾濫域か)で、当社は、旧社地を含めて、その東側・木津川近くに位置している。
当社近傍に飯岡古墳群(西約200mに桜井古墳が、約500mには飯岡車塚古墳が残る)があり、東側の木津川には“飯岡の渡し跡”が、南西方には古代の山本駅跡(駅鈴制度における中継地点)があるなど、古くから開けた土地で、古代交通の要衝だったという。

<まとめ>

これらの立地からみて、当社は、この辺りに盤踞した豪族あるいはその後裔氏族が、食物の神・ウカノミタマを奉祀したのが始まりと推測されるが、当社に対する神階授与などの記録はみえず、また、創建時期を示唆する確たる史料はない。

天満宮(天神宮)から式内、咋岡神社への社名変更時期については、案内には明治8年とあるが、何らかの関係があると思われる草内の咋岡神社では明治26年とあり、いずれにしても明治に入っての事らしい。

【動画】咋岡神社 https://youtu.be/S4xKMj8neNg

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