<由緒>
当社の創建由緒にかかわって、当社参詣の栞を主に、式内社調査報告(1979)所載の高神社本源記(1652)によれば、欽明天皇元年(540)綴喜郡菟手玉津岡の東嶽(位置不明)に神霊が降臨し、社宮を建て祀ったのが当社の始まりとなっている。
又、古代から中世にかけての綴喜郡多賀郷(村)を形成していた三郷(東村・久保村・谷村-現在の比定地不明)それぞれに、多賀明神之社、即ち東村宮(和銅4年)、久保村宮(聖武天皇・神亀2年-725)谷村宮(神亀3年-726)を奉祀したとも言われている。
<社殿>
宮の前橋を渡ると、左に「式内 郷社 高神社」と刻した石標が立ち、長い石段の途中に鳥居が立つ。
そして、石段を登り切った境内中央に、横長の拝殿(切妻造割拝殿 瓦葺)が、その奥の透塀に囲まれた神域内に本殿(三間社流造 檜皮葺 慶長9年1604建造 京都府指定文化財)が南面して鎮座している。
【動画】高神社 https://youtu.be/bWYw0ipeKYo
<末社>
境内には末社14祠もある。
境内右手の末社殿には、中央、太神社(祭神天照大御神)の左右に計8祠…
右側→若宮八幡宮(仁徳天皇)八皇子社(天穂日命)天忍 穂社(天忍穂耳命)恵比須社(事代主命)
左側→春日社(天児屋根命)伏拝八幡宮(仲哀天皇)粟島社(大己貴命)愛宕社(火産霊命)が並んでいる。
他には…
本殿左手→稲荷社(宇賀御魂命)祈雨社(高龗神天水分神)
右手→聖神社(不明)
境内右手→一ノ御前社(武速須佐男命,櫛稲田姫)
<まとめ>
ホントに静かな所で鎌倉時代を感じさせる情緒溢れる
神社だった。
京都百景にも選ばれており、その鎮守の森へも行って
みると野鳥がさえずり、風の音を感じると、何か不思
議な力でも湧きそうなパワースポットだった。